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1.長周期M9大地震動

長周期M9大地震動・1

 3・11、マンション16階の居間でテレビを点けて休憩中、ついに40年間マチモウケテキタ巨大地震を体験した。

azb09年湾岸と富士      azc3 

aza東京湾奥     azdコスモ爆燃4

1.発災          2.海溝型地震     3.直後の大余震    4.近隣・片付け・津波   5.湾岸・爆燃     6.情報・宵闇     7. エピローグ・教訓   8.資料・震災比較一覧


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房総丘陵・右端の19階建て

1.発 災 

 15時46分、突然ポロポロン・ポロポロンという機械音とともに、見ていたNHKの画面の下部中央に横長長方形のミニウィンドウが現れる。

 そのウィンドウの左端4分の1は地図で、東北地方の東部海上に大きな赤い×印がついている。

  NHK緊急地震速報↓

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 右側の上端には赤地に白く『緊急地震速報(気象庁)』という文字スーパー、その下部には青い地の上に「宮城県沖で地震、強い揺れに警戒」という黄文字が、さらにその下に「宮城・岩手・福島・秋田・山形」の県名が白抜き文字で記されている

 ほぼ同時に、あらかじめ録音されていた音声で「緊急地震速報デス、強イ揺レニ警戒シテクダサイ」とのアナウンスが、繰り返しながれ始める



 《これまで何度もテレビの地震警報を見てきたけど、今回の横長ウィンドウは初めて見るなぁ》と思いつつ、念のため炬燵に座ったまま背後の棚に備えておいた地震時用ヘルメットをとって被る

 あらためて画面の地図に視線を戻すと、震源を示す赤い×印は三陸海岸のかなり沖合についている。

0311NHK緊急地震速報c

 《ああ震源からして、例の予想されていた宮城沖地震だ、問題の東海巨大地震じゃないから大したことあるまい…》と思ってから4~5秒後くらい、まず小刻みな振動音とともに縦揺れがきて5~6秒後に、ぐらり、ぐらりと横揺れが始まる。                      
 --テレビの警告表示から揺れ始めるまで、10~15秒ぐらいだったか…



 《これは大きい!》とヘルメットを被り直して下半身を置炬燵に深くいれ、座布団を手にもって最も気になる天井のファン付き照明を見上げる。 --以前から想定練習していた持久的防御態勢(=消火や避難経路確保よりまず第一に身の安全を図る)だ。

 揺れは大きくなったり小さくなったりしつつも次第に揺れ幅を広げ、テレビの音声にかぶって屋外から地鳴りめいた響き音も聞こえる。19階建てのマンションがギシギシときしむ。

 吾輩はその後同じ姿勢のまま、数十秒ではなく多分数分間、身を揺れにまかせたままTVに見入る。 画面は国会中継から特別放送に切り替わり、「局内も大きく揺れています、…に気を付けてください、あわてずに…」などと、アナウンサーはパニクることなくマニュアルに沿った放送を続ける。



 ---因みに、NHKは緊急地震速報後1分で特別放送体制に切り替えたが、他の民放4局が最後のCMを終えて特報体制に切り替えたのは3~4分後、テレビ東京は6分以上も後だったようだ。 …色々あるけど、ま、さすがダネ、NHK!---



還暦人生最大の揺れ幅

 まず最初に、震度にして3~4の縦揺れP波(=primary波)が10秒弱続いたのち、急に尋常でない揺れ幅=震度6レベルの横揺れS波(=secondary波)がユッサユッサと始まる。
--上京して40余年、震度5レベルの地震は3~4回体験したが、体感的にはそれらを遥かに凌駕する揺れ方だ!!



  …一瞬、《1970年代世界の学会をリードしていた東大地震研から発信された「関東大震災69年周期説」(河角廣)や「駿河湾地震トランプ・カード説」(石橋克彦)に接して以来40年、ついにマチボオケ続けてきた関東巨大地震の到来か?!》との思いが湧く。

0311ca書棚、地震・噴火・戦乱IMG_0807

 がすぐに、《それにしては震源が三陸沖というのは関東から遠すぎるし、震源が近ければ短時間のはずの縦揺れP波も随分長かった。--とすればこれは首都圏直下地震でも東海巨大地震でもないはずだ》と思い至り、
我ながら不思議に落ち着いていられたのは、《かねてより数多の地震関連書籍や映像論説を学んできたお蔭ダワイ》と一人自賛…。



--揺れは大きくなったり小さくなったり、治まりかけては再び三たびむしろ大きく揺り返したりと、いつまでも鎮まらない。
体感的には5~6年前のエレベータが止まって往生させられた新潟県の地震に似て、小刻みではなくゆっくりと長い揺れだが、その揺れ幅の大きさと強さとは比べ物にならない。
とくに地震の周波がこの19階建マンションと同期するのか、揺れのスピードはそう速くないのだが、揺れ幅はまさに人生60余年で初めて経験する巨大さで、

--《首都圏直下でも東海プレートでもなくてこれほどの揺れを起こせる巨大断層って、一体どこなんだ?》という疑問がわく…。



海溝型地震と大地震周期説

 閑話休題"1976年の学会で世間に警告を発した石橋克彦"(当時東大地震研助手)は、その後神戸大学に<転出>した。<助手の分際>でマスコミの寵児になったために東大の本流から外されたのだろうか…。



 --1905年東大物理学科地震学講座助教授だった今村明恒アキツネ(35歳)は『50年以内の東京大震災の危険性と対応策』を総合誌に寄稿し、それを新聞が扇情的に報じたため社会問題となった。 上司にあたる2歳年上の同講座教授(若いね!)大森房吉が、"政治的配慮から"今村説を厳しく否定非難すると、新聞もそれに同調して今村を「ホラ吹き」と呼んだ。

 18年後大正関東地震(関東大震災)が現実のものとなり、大森は出張先の豪州から急きょ帰国途中船上で倒れて震災の2カ月後に苦悶死し、マスコミにより「ホラ吹き今村」は「地震の神様」に改称されて53歳で教授に昇進、1944年の東南海地震を予想警告したり『稲村の火』啓蒙運動などで活躍した。
 ちなみに若干27歳で帝大教授となった大森も、新型地震計の開発や噴火予知の研究で日本地震学の祖のみならず当時の世界地震学のリーダーでもあり、決して無能な"政治屋学者"だったわけではなかった…。

ada東大地震研    adc地震研公開講座’12

 '12年 ㊧東京大学地震研究所     ㊨公開講座(→(大)=1号館ロビー)



 --ともあれ、大正の関東大震災から100余年、「首都圏大震災」は起こっておらず、結果的には河角・石橋説は外れたことになる。
 だが石橋は1997年の論文『原発震災―破滅を避けるために』で、津波に対する原発の脆弱性を予想警告していたという。 --とすればただの負け組学者ではなかったことになるが、ま、いずれにせよ、彼のいた神戸大には電力会社からの寄付講座など来なかったことだろう、東大の理工系学部とちがって…。 


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